心と羅針盤

子どもへの教育力、リーダー・カウンセラーとしての対人援助力を磨きたい方に向けて発信しています。16年間で700人以上の子どもと親に対する学習アドバイス・不登校や人間関係等のカウンセリングを実施。個別指導の学習塾マネージャーが書く「教育」と「コミュニケーション」のブログ。

意識的になること=自由になること

人は普段、

 

多くの思考や行動を無意識で行っている。

 

無意識で行なっている時、

 

人生は手の中にない。

 

なぜか。

 

それは、

 

無意識で行なっていることは、過去の思考や行動パターンであり、それがプログラムとなって自動的に発動しているからだ。

 

プログラムは、過去上手くいったやり方や、通用したやり方から作られる。

 

もちろん、

 

そのままにしておいて良いプログラムもあるが、

 

そのままにしておくと日常生活に支障をきたすプログラムも多い。

 

すぐに相手の悪いところを見つけてしまうプログラム、

 

感情的になって相手を動かしてしまうプログラム、

 

他のことを考えながら相手と話してしまうプログラム、

 

相手の話にリアクションが薄くなってしまうプログラム、

 

これらは発動すると人生を不幸にする。

 

だから、

 

こういったプログラムが発動しようとするときに気づく必要がある。

 

気づくためには、

 

意識的である必要がある。

 

つまり、

 

「いまここ」

 

に意識を集中させることだ。

 

意識的になることで初めて、自分の思考や行動を選択できるようになる。


選択ができるようになれば、自分の人生の舵を自分んで取ることができる。

 

そして、

 

今持っている効果的なプログラムも、常にアップデートして最新のプログラムに更新し続けることで、人生は更に充実していく。

 

意識的になることが、自由になることだ。

愛とは関係性

私は、

 

愛って関係性だと思ってる。

 

つまり、

 

お互いの内面がどういう性格かはもちろん大切だけど、その性格を生かして、お互いがどういう関係性を作っていくかが大切ということ。

 

だって、

 

どんなに内面が良い性格をしていたとしても、お互いにそれを表現して与え合わなければ、ないものと同じだから。

 

この世界の人間関係を変えることができるのは、

 

いつだって表の世界に表現した言動のみ。

 

そして、

 

愛は与えなければ与えられない。

 

与えられるかもしれないけど、

 

与え返さなければ、いつか与えてもらえなくなる。

 

相手が望んでいること、

 

それを超えて、相手に必要なことをお互いに与え続けることができるか、

 

このことでしか、愛は成り立たない。

 

愛は一人で持ち続けられるものではなく、関係性だ。

嫌われる人とは

嫌われる人って、

 

みんな共通するあることをしてしまっている。

 

それは、

 

「リアクションが薄い」

 

こと。

 

例えば、

 

Aさん「今日こんなことがあったんだよね!」

Bさん「へー」

 

という感じだ。

 

これ、本人はそんなつもりがなくても相手にとって嫌悪感を与えてしまっていることが多い。

 

人がどんな時に人のことを嫌いになるか、

 

それは、

 

相手に対して、「自分のことを嫌いかな」

 

と思った時だ。

 

こう思ってしまったら、自分から距離を置いてしまう。

 

そうなれば、

 

相手も、「距離を置いている」と感じ、「嫌いかな?」と思うようになり、お互い距離を置くようになる。

 

こうやって関係性は壊れていく。

 

だから、

 

相手に、「自分のこと嫌いかな」と思わせないようにすることだ。

 

そして、

 

「自分のこと嫌いかな?」と思わせる大きな要因が、

 

「リアクションが薄い」

 

こと。

 

リアクションが薄い要因として、

 

・意識が今ここになく、別のことを考えている

・表現能力が低い

 

の二つがある。

 

この二つを意識してコミュニケーションを取ることで、人間関係は劇的に改善する。

 

シンプルで簡単だけど、最も効果の高い方法だ。

劣等感の補償

人間は、

 

劣等感を感じたときに2通りの補償をする。

 

劣等感自体は悪いものではない。

 

劣等感がなければ、成長しようと思わないからだ。

 

ただ、

 

相対性マイナス(現状の自分)に自信がないと、劣等感を劣等コンプレックスで補償しようとする。

 

劣等コンプレックスとは、何かを言い訳にするべきことから逃げることだ。

 

例えば、

 

自分よりも頑張っている人がいた場合、

 

「あの人と私はもともとの能力が違う」

 

と思い、努力することをやめてしまう。

 

厳しいが、これではいつまでも成長はない。

 

なので、

 

劣等感を努力で補償できるようにしたい。

 

相対性マイナス(現状の自分)に自信があれば、劣等感を感じたときに、

 

「私ならできる」

 

と思い、相対性プラス(目標)を追うことができる。

 

そのためには、

 

日頃から自分の成長に目を向けることだし、

 

親や教師であれば、子どもの成長に目を向けて伝えることだし、

 

上司であれば、部下の成長に目を向けて伝えることだ。

 

成長に目を向けることができれば、

 

「自分は色んなことを乗り越えてきた。自分にはできる。」

 

と思うようになる。

 

劣等コンプレックスを使うのは病的だからやめ方がいい。

 

誰もが劣等感を努力で補償できるよう、お互いが成長を伝え合える環境が必要だ。

目上の人に対する礼儀作法は必要?

上下関係を気にしない文化が増えている気がする。

 

役職が上の人が出社したとき、部下から挨拶をしなかったり、

 

仕事中も敬語を使わなかったり、

 

みんな対等という世の中の考えが広まってしまっているせいだろう。

 

しかし、

 

組織においては誰がボスかがわかりやすいほうが、お互い働きやすくなる。

※過去記事を参照ください。

 

rickmy.hatenablog.com

 

つまり、

 

礼儀作法は民主的な組織における必要条件だ。

 

民主的とは、

 

多数決の原理ではない。これは重要なことだ。

 

真の民主的とは、

 

決定者(責任者)がいて、決定者は部下の意見をよく聞くが、最終決定は決定者が行う。

 

責任の所在がわかるからこそ、みんな仕事に対してそれぞれに与えられたことにエネルギーを注ぐことができる。

 

目上の人に対する礼儀作法は、

 

自然に民主的な組織を成り立たすためになくてはならない。

相手がして欲しいことするのは三流

「相手がして欲しいことをしよう」

 

と教えられた人は多いと思う。

 

たしかに、

 

して欲しいことをしてもらった人の気分は良くなるけど、それが相手のためになるかはわからない。

 

例えば、

 

何かの愚痴を否定せずに聞いて欲しい人がいる場合、

 

「そうだよね!」と聞き続けていれば、相手は一時的に気分は良くなるかもしれないが、根本的な解決には繋がらず、結果として相手のためにならない。

 

これでは三流。

 

そして、

 

「相手に必要なことをする」

 

のが二流。

 

相手がして欲しい、して欲しくない関わらず、相手に必要なことをすることで、

 

相手の感情を基準にしていないので、「相手がして欲しいことをする」と違って理性的で人間的だ。

 

例えば、

 

何かの愚痴を否定せずに聞いて欲しい人がいる場合でも、

 

「このまま愚痴を言い続けていたら良いところに目がいかなくて、ずっとこの現状のままだよ!」

 

と自分の考えを伝えるので、現状が変わるきっかけを与えることができる。しかし、寄り添っている感じが少ないので相手の気分は下がる可能性はある。

 

ただそれでも、3流の「相手がして欲しいことをする」よりは建設的だ。

 

では、一流はどうだろうか?

 

一流は、

 

何かの愚痴を否定せずに聞いて欲しい人がいる場合、

 

「そうなんだね。大変だったんだね。」と相手に寄り添って話を聞きつつ、「その状況を変えるために何ができるかな?」と、現状を変えるきっかけとなる質問をするなど、結果として相手のためになるアプローチをする。

 

つまり、

 

「相手に必要かつ、相手がして欲しいことをする」

 

人だ。

 

※これには、過去に書いた「二重見当識」が必要になる。

rickmy.hatenablog.com

 

相手に寄り添うことで安心感を与えて信頼関係を築きつつ、相手に必要なことをすることで結果として相手のためになる人、

 

これが一流だ。

上下関係は良くない?

最近よく、

 

「上下関係は良くない」

 

「上司と部下は対等だ」

 

という声を多く聞く。

 

耳障りはいい言葉だが、これでは組織はうまく機能しない。

 

もちろん、

 

上司だろうが部下だろうが、人間としての価値は同じだけど、

 

役割分担としての上下関係は必要だ。

 

アドラー心理学に、

 

「縦の関係」「横の関係」

 

という言葉がある。

 

縦の関係とは、どちらが上かを争っている状態

 

横の関係とは、どちらが上か双方が合意している(目標達成のために協力している)状態

 

のことだ。

 

これは世間一般で思われている縦の関係・横の関係とは違っている。

 

つまり、

 

目標達成のための役割分担としての上下関係は

 

「横の関係」

 

なのだ。

 

このことを理解せずに、

 

「上下関係は良くない」

 

「上司も部下も対等だ」

 

と言って役割分担を無くしてしまっては、たちまち無政府主義になってしまい組織は機能しなくなる。

 

人間は階層構造のある群れを作る動物のため、ボスが決まっている方が安心して働くことができるからだ。

 

どちらが上かが決まっていないということは、責任の所在がわからないくて責任のなすりつけになるし、

 

誰がボスかを決めることにエネルギーを使ってしまい、課題解決にエネルギーを使えなくなる。

 

上下関係が悪いのでなく、

 

上司と部下が対等なのが良いのではなく、

 

「目標達成に向けて合意している」

 

ことが重要なのだ。