相手がして欲しいことするのは三流
「相手がして欲しいことをしよう」
と教えられた人は多いと思う。
たしかに、
して欲しいことをしてもらった人の気分は良くなるけど、それが相手のためになるかはわからない。
例えば、
何かの愚痴を否定せずに聞いて欲しい人がいる場合、
「そうだよね!」と聞き続けていれば、相手は一時的に気分は良くなるかもしれないが、根本的な解決には繋がらず、結果として相手のためにならない。
これでは三流。
そして、
「相手に必要なことをする」
のが二流。
相手がして欲しい、して欲しくない関わらず、相手に必要なことをすることで、
相手の感情を基準にしていないので、「相手がして欲しいことをする」と違って理性的で人間的だ。
例えば、
何かの愚痴を否定せずに聞いて欲しい人がいる場合でも、
「このまま愚痴を言い続けていたら良いところに目がいかなくて、ずっとこの現状のままだよ!」
と自分の考えを伝えるので、現状が変わるきっかけを与えることができる。しかし、寄り添っている感じが少ないので相手の気分は下がる可能性はある。
ただそれでも、3流の「相手がして欲しいことをする」よりは建設的だ。
では、一流はどうだろうか?
一流は、
何かの愚痴を否定せずに聞いて欲しい人がいる場合、
「そうなんだね。大変だったんだね。」と相手に寄り添って話を聞きつつ、「その状況を変えるために何ができるかな?」と、現状を変えるきっかけとなる質問をするなど、結果として相手のためになるアプローチをする。
つまり、
「相手に必要かつ、相手がして欲しいことをする」
人だ。
※これには、過去に書いた「二重見当識」が必要になる。
相手に寄り添うことで安心感を与えて信頼関係を築きつつ、相手に必要なことをすることで結果として相手のためになる人、
これが一流だ。