親の役割
親が子どもに接するとき、二つのパターンが多い。
一つは、
子どもが適切でない行動をしたとき、
※適切な行動とは、社会に対してプラスな行動。人間は社会的な存在だから、社会に対して貢献し、協力しなければ豊かに暮らすことはできない。
「やめなさい!」
「どうしてそんなことするの!」
というように、マイナスの感情を使った接し方だ。
例えば、
子どもが勉強をしなかったとき、怒りながら
「早く勉強しなさい!」
「そんなんじゃテストでいい点数が取れないよ!」
という接し方をする。
このことから子どもが何を学ぶか。おそらく、
「勉強をしないと親を怒らせる」
「勉強をすれば親の奴隷になる」
「奴隷にならないためには、勉強をしなければいい」
「親を怒らせたら何もしてくれなくなる。だから勉強をする」
とういうことを学ぶ。
もう一つは、
勉強をしなくても、何も言わずに放っておくという接し方、放任だ。
このことから子どもが何を学ぶか。おそらく、
何も学ばない。
ではどうすればいいか。
1.子どもを納得させるために工夫を凝らし
2.最終的にどうするかの判断は子どもに任せる
ことだ。
そのとき、優しい心、優しい顔、優しい言葉、優しい行動で接すること。
すぐに怒る親がいるけど、ほとんどの場合は怒らなくても伝わりますから。伝わってないのは、親に問題がある。
基本的に親は子どもより知識も経験も多い。それを伝えるのが親の仕事だ。それを伝えないのは、
人間が歩んできた歴史を無視し、子どもに石器時代まで遡って一から経験をさせるのと一緒。
だから、例えば子どもが勉強をしないときには
「勉強をすることで、考える力が身につきます。例えば、数学は論理的思考(〇〇だから△△になる)が身につくし、歴史は時代がどう流れているかという論理的思考と、人物名・出来事という知識を覚える力が身に着く。この力があれば、この先に解決しないといけない問題が現れたときに自分の頭で切り抜けられます。また、英語は認知症予防にも繋がります。将来なりたい職業がある場合、その専門知識を持っていないとなれない職業もあります。だから、勉強してくれますか?」
と、伝えればいい。
上記のはあくまで例だが、少し勉強するだけでもこれくらいの知識は話せる。なりたい職業がなければ、子どもの適性を探し、子どもと話し合えばいい。
マイナスな感情を使って接すること、放任すること、どちらにも言えるのは「工夫」がない。
勉強しなさいだの、放っておくだのは大人じゃなくてもできる。
これは親の仕事じゃない。
そして、工夫を凝らした上で、子どもが勉強をしてくれたら一緒に喜ぶ。学ぶことで世のため、人のためになる子になれるからね。
やらなかったら、ここはもう子どもの課題だ。自分が選んだ選択に対して責任をとってもらう。そこからも学ぶことは多い。
どちらを選んだとしても、その責任を受け持つのは子どもだ。だから、最終決定は子どもにしてもらう。
でも、子どもが親が望む選択をしなかったとき、親は自分の伝えた内容・伝え方・子どもとの関係性を反省した方がいい。
親が魅力的で、伝えたことも魅力的だったら、基本的にはやってくれる。
やってくれなかった場合、その結果を受け持つのは子どもの課題だが、伝わらなかったのは親の課題だ。
言葉
自分の考えや気持ちを伝えるためには、
「言葉」
が大切。
どれだけ良い考えや、素敵な気持ちを持っていたとしても、言葉で表現しなければ相手に伝わることはない。
メラビアンの法則によると、
コミュニケーションで伝わることを全部で100%とした場合、バーバル(言語)の割合は7%、ノンバーバル(非言語:話し方-口調、抑揚、語調の強弱などが38%、ボディーラ ンゲージ-表情、身振り手振り、姿勢などが55%)93%と言われている。
これを聞くと、
「え、7%だったらあまり大切じゃないんじゃない?」
と思われるかもしれない。
たしかに、
こちらの印象がどう伝わるかははノンバーバル(非言語)によるところが多い。
話す場面に応じて表情や声の抑揚を変えて話すのと、そうでないのとでは、相手に与える印象はまるで違う。
しかし、
深いところで自分の考えや気持ちを伝えるためには、やはりバーバル(非言語)が大切だ。
例えば、相手に感謝を伝えるときに
「ありがとう」
と伝えるだけでなく、
「ありがとう。あなたが昨日くれたアドバイスですごく助かった。自分一人じゃなくて、仲間がいるってほんとに大切だって、改めて感じたよ。」
と伝えることで、
相手は自分の行動によって生まれた影響を具体的に知ることができ、それにより自分の行動に自信を持つことができ、その親切を行ってよかったという気持ちが増すだろう。
部下やスタッフに対して研修をするときも、
聴衆を前にプレゼンをするときも、
改めて「言葉」の大切さを実感してほしい。
人は言葉で思考する。言葉を使わなければ、物事を考えることはできない。
そのためには、まず言葉を知ることだ。
知っている言葉が5000ある人と、300ある人では、生み出される考えの質も違えば、表現できる感情の広さと深さも違う。
バーバル(言語)とノンバーバル(非言語)、どちらが大切かではない。
どちらも大切で、それぞれ役割が違うんだ。
自分の出したい自分を出す
仕事でも、
プライベートでも、
「自分の出したい自分」を出すことが大切。
素の自分って何かわかりにくいと思うから、自分の出したい自分って考えるのがいいと思う。
もちろん、
人間は社会に組み込まれた生き物だから、周りと協力しなければ生きていくことはできない。
そのために、
「やるべきこと」
「やってはいけないこと」
はある。
それがなければ、ただの自己中心的だ。それで幸せになることはできない。
しかし、
その上で、自分の出したい自分を出していかなくては辛くなる。
周りに合わせすぎていると、その自分に合った人たちが集まる。
特に、企業や組織のリーダーは周りに合わせすぎると、合わせれば合わせるほど組織をまとめにくくなる。
出したい自分に集まってきてくれる人とチームを組んだ方が、目標に向かってプラスの感情を持って進みやすい。
それって、自己中心的じゃないの?って思う人もいるかもしれないけど、
そのために企業や組織は自分で選ぶことができるよう、世の中にたくさんある。
自分の出したい自分を出せるところに行けばいい。
ずっと無理して進んでも、パフォーマンスは上がらない。
「やるべきこと」
「やってはいけないこと」
この2つを行う前提で、自分の出したい自分を出す。
これが日々を充実させるコツだ。
自尊心とは
私たちが勇気を持って前に進むためには、自尊心が必要だ。
じゃあ、自尊心とは何か。
それは、「私はすごい」と思うことでなく、「私には能力がある」と感じられることだ。
「私はすごい」と思うと傲慢になり、「すごい私、そうでないあなた」というような相手との比較も生まれる。
これでは相手を尊敬することが難しくなるし、尊敬ができなければそこに良い人間関係は生まれない。
だから、
「私には能力がある」と感じることだ。
例えば、
話をする能力、話を聞く能力、ユーモアの能力、パソコンを使う能力、数学ができる能力、英語を話せる能力、
どれも、身についていれば自尊心につながり、勇気を持って前に進むことができる。
「私はすごい」と思うこととの違いは、こう感じたとしても傲慢にならないことだ。
なぜなら、
すごいのは私の能力(私の一部)であり、私の全体ではないから。
話をする能力があったとしても、それで私の全体が相手の全体より優れているわけではない。
相手を見下すことがなくなるため、良い人間関係を作ることができる。
この考えを持てると、相手を全体として評価するのでなく、相手の能力にも注目するようになる。
あの人はうまく話をする能力は少ないが、相手の話を聞く能力に長けている、というように。
この「能力ベースで」考えることには、他にもメリットがある。
それは、
相手が自分が持っている能力よりも高い能力を持っていた場合でも、自分に能力があるという事実は変わらないということだ。
自分よりユーモアを持っている相手がいたとしても、自分にユーモアがないということにはならないし、
自分が相手よりパソコンの能力があったとしても、相手にパソコンの能力がないということにはならない。
つまり、相手との比較が生まれたとしても、その能力は揺らがない。
さらに、
「私は〇〇が得意だから、ここは任せて!」
「〇〇はあの人が得意だから、お願いしよう!」
といったように、能力を感じていれば人それぞれの「出番」も生まれる。
これにより「居場所」ができ、居場所ができることで、人は心の健康を保って過ごすことができる、
「私には能力がある」、これが自尊心だ。
時間
今日から8日間の連休。今回の連休は勉強とダラダラの繰り返しかな。
よくも悪くも、今の自分の力に限界を感じる。同じ業界の周りと比べたら調子も実績もいいかもしれないけど、それを基準にしたら成長はない。
だから、過去の自分の比べて成長していく。
親父の体調が良くないから明日実家に帰る。なんとかよくなってほしいな。会える時間以外は祈る時間。
時間は、唯一平等に流れていき、私たちに与えられたもの。これをどう使うかが人生の質を変える。
今あるものを楽しみ、感謝する時間。
将来のための投資(学び)の時間。
これをバランスよく取っていきたい。油断するとすぐにどちらかに傾く。
どんな自分になっていきたいか、これを考えることは大切。向かう先がわからなければ、今やることがわからないからね。
でも、目標をガチガチ決めてしまうと柔軟性がなくなる。ここもバランスだね。
目標は一つだけでなく、いくつもあった方がいい。一つだけだと、その方向性が難しくなったとき、支えがなくて心が折れてしまう。
○○になりたいし
△△にもなりたい
っていうくらいがちょうどいいな。
もしくは、
目の前にあることに集中する。そうして過ごしていくうちに、可能性が生まれる。生まれた可能から自分が進んでいく道が見つかるかもしれない。
目標をいくつも立てて進んでいくのもいいし、目の前にあることに集中するするのもいい。
与えられた時間をどう使うか。無駄なことはないっていうけど、より効果的なことをやったほうが方がいいに決まってる。
なにもせずに過ごして、「無駄なことはない」って言ってる過ごし方は避けたい。
ちなみに、今日は13時間くらい寝てました。
思考の深さと幅(思考力)を増やすには
明日からGWのため、仕事のやり残しをしないようにする。
作業をしているときに別の作業が入り、どうしてもマルチタスクになりがちな仕事なので、確認作業の回数を増やさなくてはいけない。
事務作業でお客様へ迷惑をかけるのは申し訳ないし、とてももったいない。
普段物事を考えるとき、同じ思考がぐるぐる回ったり、解決案を出すのに時間がかかることがあると思う。
なぜこういうことが起きるかというと、思考の幅と深さが少ないからだ。人はその瞬間に持っている知識と経験から目の前の現実を見ている。もっと言うと、その瞬間の知識と経験からしか目の前の現実を見ることができない。
知識は読書によって増やすことができる。その際、一つのジャンルに絞らず、様々なジャンルの本を読むことで幅を増やすことができる。
「話し方」について学びたい場合、話し方の本だけを読むのでなく、小説も読む。そうすることで、話し方のスキルだけでなく、小説の中から自分が使いたい言い回しを得ることができ、それによって話し方はさらに磨かれる。
深さを増やすには、同じジャンルの本を何冊も読むことだ。
コミュニケーションについて学びたい場合、一冊読むのでなく何冊も読むことだ。どの本にも共通して出てくることについては、多くの著者が大切だと思っているので重要度は高い。
また、同じジャンルの本を読む際は、奇数にしておくと良い。そうすることで、意見が割れている内容に関して、多数決で重要度を決めやすくなる。
※数が多い方が正しいわけではないが、どの意見を採用するかの一つの基準となる。
「なぜそうなのか」という根拠を学び、いくつも自分の引き出しに入れておけるのも、同じジャンルの本を読むメリットだ。一つの根拠だけでは論破されやすい。
つまり、知識を増やすためには読書が必要で、読書には知識の幅を増やすための読書と、深さを増やすための読書がある。これによって思考の筋肉量が増える。
しかし、これだけでは思考力に自信を持つことはできない。人は結果(経験)から学ぶ生き物だから、いくら知識があっても、それだけでは最後の最後で自分の思考に自信が持てない。
だから、知識の幅と深さが増したら、それを行動に移すことだ。知識をもとに思考し、それをもとに行動することで、良くも悪くも何かしらの結果が生まれる。
その結果(経験)をフィードバック(反省)し、仮説(思考)と検証(行動)を繰り返すことで、本当の思考力が身につく。
要は、
知識→思考→行動→結果→反省
の繰り返しが、思考力を増やす。